Last Updated on 2022年10月21日 by Taichi

「悟りの窓」と「迷いの窓」
京都市北部の人気スポット
京都・高峰は、都会の喧騒を離れた静謐の地。その中でも人気の庵が【源光庵】です。
禅宗の曹洞宗で、京都の市街地から北大路駅・大宮駅からバスで2~30分ほどの所にあります。
【源光庵】が人気なのは、有名な丸窓「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」、そして「血天井」
特に秋は窓の奥に紅葉が望めるため、晩秋には多くの方が訪れて賑わいます。
バスで【源光庵】に向かいました。
北大路駅から京都市バスに乗って2~30分、
「鷹峰源光庵前」で下車して徒歩1分。
北山杉を配した唐風の山門があります。

源光庵 山門
山門には赤土が敷かれていて、?と思いましたが
ネット上にこんな記述が…
お寺の方のご説明によると
こちらの赤土は珍しく高貴な方のお墓などに使われたりしているということです
源光庵さんに行かれましたら この赤土にも注目です!
まったく眼中になかったのですが。

【源光庵】庭園
さて、源光庵を囲む庭園ですが、10月半ばになり
萩の花は盛りをすぎて…

【源光庵】10月中旬 萩の花は盛りを過ぎて…
ホトトギスの花が咲き始めてとてもいい感じでした。

【源光庵】庭園に咲くホトトギス
このホトトギス、濃い紫の色調・模様がちょっとコワイ感じもありますが、迷いの窓や血天井があったりするスピリチュアルな禅寺【源光庵】に咲く花としては
とてもフィットしていて素晴らしい!と思いながらシャッターを切りました。

【源光庵】庭園に咲くホトトギス
庭園の刈込みもとても美しい!

手入れが行き届いた庭園
さて、本堂に入っていきますと…
入母屋造りの本堂には「迷いの窓」と「悟りの窓」があります。

「悟りの窓」と「迷いの窓」
角窓と丸窓で風景を切り取って見せています。

源光庵の【悟りの窓】
丸窓の「悟りの窓」の丸窓は何事にもとらわれないおおらかな気持ちを「禅と円通」の心で表し、
「迷いの窓」の四角は生死病死と四苦八苦…人間の生涯を象徴して生老病死の苦しみを表しているといいます。

窓の向こうの庭園の景色が美しい…
内部の光が落ちているので、窓から差し込む外の光や明るさ、色合いが際立ちます。
窓の向こうには美しい庭が広がり、秋には紅葉が美しい。

【迷いの窓】の構図に迷う?!
迷いの窓の撮影時、まさに画角を迷ってしまいました。
丸に比べると、どうにもきちっと整体した感じが出ないのです。
これも仕掛けなのかな?!
本堂の天井「血天井」
本堂の天井には伏見桃山城の遺構を移した「血天井」があります。

源光庵の【血天井】
伏見城落城の際に、兵士が自害したときの床板を鎮魂・供養のために天井にしているものです。
京都の五カ所のお寺にある血天井の中でも、こちらの血天井の血痕は非常に鮮明で、足や手の形がはっきりと見てとれます。

源光庵の【血天井】手形(画像の真ん中あたり)

源光庵の【血天井】足形(画像の真ん中あたり)
不気味さがないとはいえないですが見ごたえがあります。貴重なものですね。
【源光庵】とは
貞和2(1346)年 臨済宗の寺として開創。
元禄7年(1694)曹洞宗に改められた。
当時の逸話として【卍山道白禅師】が宗統復古に邁進したことが有名です。師は、曹洞宗の開祖である道元禅師の教えが当時乱れていたことを嘆き、宗風を元の状態に戻そうと、雨の日も風の日も毎日奉行所へ通い詰め、江戸幕府に嘆願しました。その結果、宮家や徳川家から財法ともに支援を受けられるようになり、ようやく元の姿に復古したのです。その年月が実に42年。
以来、このお寺は「復古禅林」と呼ばれるようになったのです。
卍山道白禅師は自らを復古道人と名乗り、晩年の20年間をここで過ごしました。
貞和2年(1364)に創建されたが、元禄7年(1694)に曹洞宗に改められた。
本堂には釈迦牟尼仏と霊芝観音が安置されている。
京都市北区鷹峯北鷹峯町47
市バス北1・6「鷹峰源光庵前」下車、徒歩約1分
9:00~17:00(受付終了16:30)
11月第一土曜日~12月第一日曜日まで駐車場のご利用は出来ません。
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